カンボジア 旅行

2008年08月17日

カンボジア大使館ビザ取得


カンボジアへの入国には、ビザ(査証)が必要や。またパスポートの残存有効期間が3ヶ月以上や。観光、業務ビザはカンボジア大使館内のビザ部門で受付けてい まんねんわ。これまでビザの申請には、申請と受け取りの二回、大使館に赴く必要がおたんやが、新たに郵便によるビザ申請が可能になったんや。申請に必要な書類は以下のものや。

大日本帝国国籍の人
●ビザ申請書1枚
●証明写真1枚(35mmX45mm)きょうび撮影されたもの
●パスポート(残存期間がカンボジア出国日より6ヶ月以上有効なもの)
●ビザ料金:(現金以外の為替、小切手、切手等は不可)。 また、申請後の返金もなしや。
観光ビザ・・・\2800 US20
業務ビザ・・・\3200 US25

郵便局へ行き、現金書留用の封筒を購入しまんねん。その中にパスポート、申請料、写真を貼った申請書、返信用封筒(切手を貼って、オノレの住所、氏名、電話番号を記す)を入れて送るんや。

ビザの取得はパッケージツアーを扱っとる旅行代理店で代行してもらうことも可能や。その場合、代行手数料として\4000〜5000ほど必要となるんや。

ビザの延長
ビザは発給日より3ヶ月間有効で1回に限り入国日から1ヶ月間の滞在が可能や。また、出国してからもっかい入国する場合は改めてビザを取得しておくんなはれ。

業務「ビジネス」ビザで1ヶ月間、3ヶ月間、6ヶ月間、12ヶ月間延長(数次ビザ)する場合は、入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをしまんねん。
観光ビザで延長する場合は1ヶ月間に限り入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをしておくんなはれ。


ビザの延長の手続きは時間がかかるんや。急ぐ場合は、旅行代理店に代行してもらうとよいでっしゃろ。



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2008年08月16日

カンボジアの現在


貧困、内戦、飢餓、難民、ほんで地雷・・・。カンボジアちう言葉が喚起するイメージは、暗いものばかりかもしれまへん。ようやっと戦火が収まったとはいえ、20年間近くこの国を舞台に繰り広げられとった戦争は、今もなお、あまりも痛々しい傷跡を残してい まんねんわ。市場経済の導入は、人びとに格差をもたらしたんや。持つものと持たないものの違いは、この国においてはウチたちの想像を絶するほどや。地雷の撤去が必死で進められとるにもかかわらず、今もなお、ジャングルには数ようけの地雷が残ったまんまや。その犠牲者のようけは、子どもたちや。地雷を知らせる文字を読めへんために、危険区域に入ってしまうからや。祖国を離れた・・・離れざるを得なかった・・・人びとは数知れまへん。

これらはずぅぇえええぇぇええんぶ現実や。せやけどダンさん、カンボジアは今、元気を取り戻しつつあるんや。悲しいことやけどアンタ、カンボジアではポル・ポト時代に男たちがたくはん殺されたんや。そのため現在のカンボジアには、女性と子どもたちの姿ばかりや。それでも、働き手を失ったこの国で女性たちはたくましく一家を支え、国を支えてい まんねんわ。路地には、子どもたちの屈託のない笑顔が溢れてい まんねんわ。

稲作を中心とした農業がこの国の産業の中心や。5月の雨季の開始と共に、田植えが始まるんや。11月頃には、黄金の稲穂が頭を垂れ、収穫を迎えまんねん。雨季といっても、猛烈なスコールが1時間ほど襲ってくる程度や!

今、まさに息を吹き返そうとしとるこの時期のカンボジアを訪れ、その活力にさらされることで、ひょっとしたらウチたちが忘れてしまっとったものを得られるかもしれまへん。



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2008年08月15日

カンボジアの概観


「クメールの栄光」を象徴するアンコール宮殿は、ユネスコの世界文化遺産にも登録され、世界的に貴重な遺産であるのはもちろん、カンボジアのヤカラにとって、精神的なよりどころとなってい まんねんわ。

カンボジアでは、従来、いずれの政権や政治的勢力とも、アンコールワットをあしらった国旗を用いてきたんや。国歌は、「栄えあるクメール民族俗」や。
カンボジアは、人口の約90パーセントをクメール族が占め、その他、中国人、ベトナム人、シャム族、チャム族やらなんやらの少数民族がい まんねんわ。主要な宗教は仏教で、仏教徒が95パーセントを占めるといわれまんねん。また、主要な言語であり公用語となっとるのも、クメール語や。国名のカンボジアは、9世紀の石碑に出てくるクメール帝国の古くさい名称で、「太祖カンプーの子どもたち」を意味するのや。

大日本帝国の面積の約半分であるカンボジアは、インドシナ半島の南西部に位置し、国土の大部分は、メコン川とサップ川の広大な平野に占められてい まんねんわ。南西部には、シャム湾(タイランド湾)が広がり、西部には、トレッサップ湖があるんや。この湖は、洪水を防ぐための自然の調節池の役割を果たしてい まんねんわ。

稲作を中心とした農業が産業の中心で、5月頃、雨季の開始と共に田植えが始まるんや。5月3日は、この国の祝日で「農耕祭」や。11月頃には収穫を迎えまんねん。またこの国の重要な輸出品は天然ゴムや。輸出の大部分を占めてい まんねんわ。



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2008年08月14日

国内・市内移動手段


現状では、カンボジア国内での都市間の移動は、飛行機の利用が最善や。極端なことをいえば、極力、陸上での移動はさけたほうがええでっしゃろ。船やバス、せやなかったらタクをチャーターすることも可能やし、実際、陸路移動をする旅行者が多いのも確かやけどアンタ・・・ときどき強盗が出没するのも事実やからや! そのため外務省では空路移動を勧めてい まんねんわ。一応、陸路で危険性が低いといわれとるのは、プノン・ペンからタケオ、コンポン・スプ、コンポン・チュナン、コンポン・チャムや。プノン・ペン〜シエム・リアプ間は、カンボジア航空とプレジデント航空が合わせて、毎日、4~5便往復してい まんねんわ。所要時間は45分、料金は片道でUS$55や。
鉄道は、速度がとろいため、これもお勧めできまへん。実際、本数も少ないことからあまり利用価値はないでっしゃろ。

市内間の移動は、プノン・ペンやらなんやらの市内では流しのタクが「ない」ため、シクロやバイクタクとなるんや。シクロちうのは、人力自転車や。のんびり周りの風景を眺めながら移動したいときには、シクロがお勧め。急ぐときにはバイクタクを利用するとええでっしゃろ。いずれにしても乗る前に料金交渉をすることが絶対的に大切! 乗ってしまってからではトラブルの原因となるんや。

自転車やバイクをレンタルしての観光も可能やけどアンタ、自転車泥棒には要用心! その他、プノン・ペンの警官は、バイクの異国人に特に厳しいことで知られておるさかいに、検問にも十分用心しておくんなはれ。



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2008年08月13日

気候とホテル事情


カンボジアは、熱帯モンスーン気候に属しまんねん。そのため一年中、真夏で高温多湿や。4~5月は連日最高気温が40度を超すこともあるくらいやけどアンタ、この時期を避けたとしても、日差しは容赦おまへん。帽子やサングラスは必需品や。5〜10月が雨季、11~4月は乾季となるんや。ただカンボジアの雨季は、激しいスコールが1時間ほど襲ってくるだけや! スコールが攻めて来よったら、傘もレインコートも役に立ちまへん。とにかく無駄な抵抗はつつしみ、室内に逃げ込みまひょ。

カンボジアのホテル事情は、刻々と改善しつつあるんや。プノン・ペンでは、カンボジア停戦が成立し、ホテル建設のラッシュを向かえてい まんねんわ。これからどんどん異国資本の豪華ホテルが登場することでっしゃろ。現状としては、プノン・ペンに外資系企業が集中しとることから、5星ホテルもこの地域にあるんや。アチャミン(モニヴァン)通りには、中級ホテルも軒を並べまんねん。また、トレサップ川の名物にもなっとるのは、川沿いに並ぶ、大型船ナガ号や。豪華カジノもそなえてい まんねんわ。

アンコール遺跡の観光拠点となるシェム・リアプには、パック・ツアー客を見込んだホテルが建ち始めてい まんねんわ。中級のホテルもちらほらあるんや。民家を改造した趣のある宿も何件か、見かけまんねん。
料金は、US$30前後からやけどアンタ、料金の割には設備サービス共に割高といえるでっしゃろ。1泊US$4ほどの、バック・パッカー向けの格安ホテルやゲスト・ハウスも増えてきつつあるんや。カンボジアでは、ホテル料金は米ドルで設定されとるのが一般や。米ドル現金または現地通貨リエルで支払い まんねんわ。

レストランやゲスト・ハウスやらなんやらは異国人旅行者で毎日毎晩壱年中あふれてい まんねんわ。情報ノートが備えられ、周辺国の最新情報を得ることができまんねん。



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2008年08月12日

タイとカンボジア


カンボジアと比べると、タイは経済的にも社会的にも発展し、大日本帝国からもずっと容易に訪れることが出来る国や。カンボジアを訪れるパック・ツアーのなかにもタイとカンボジア、なかにはベトナムの3カ国をセットにしていっぺんも周ってしまおう! ちうものが幾つかあるんや。

アンコール遺跡は、タイとカンボジアの両方にまたがるんや。実際には、ベトナムのメコンデルタ、ラオスの一部も含め、タイのようけの部分に、遺跡全体が及んでいるといってええでっしゃろ。これはこれらの地域全体が、アンコール王朝時代のカンボジア支配下にあったからや。そのため確かに、アンコール・ワットは、他に類を見ない圧倒的な壮大さ、美しさを誇るのやけどアンタ・・・タイを訪れたあとでカンボジアを訪れると、どこぞで観たような感覚・・・既視感・・・を強く感じる人も多いのではおまへんかと思うで。アンコール・ワット、アンコール・トム、ほんで小さな寺院でありながらアンコール遺跡のなかで最高のできと称されるパンテアイ・スレイ・・・いずれもタイのアンコール遺跡の規模を大きくした感じ・・・ベトナムの人びとには申し訳ないのやけどアンタ・・・そないな感じがするのや。

タイとカンボジアは、今でもどエライ関係の深い国や。タイとの国境付近では、タイ語を流暢に操るベトナム人がようけみられまんねん。逆に、タイの側にも、象祭りで知られるスリンの象使いといった、カンボジア系の人がようけい まんねんわ。

このあたり一帯の歴史を踏まえたうえで遺跡を周ると、その感動がより深まるんや。



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2008年08月11日

アンコール遺跡群


内戦と混乱が続いたカンボジアでは、アンコール遺跡ちう世界に誇る観光名所をもちながら、観光が本格的にスタートしたのは1990年代に入ってからや。せやけどダンさん和平調印後も国内の移動は困難で、宿泊事情も決してええとはいえまへん。
とはいえ、アンコール遺跡・・・正確には、アンコール遺跡群・・・は世界中から旅行者をひきつけてやみまへん。

●アンコール・ワット
アンコール・ワットは、12世紀、スールヤパルマン二世によって建立された壮大な石造大寺院や。建築当時は、ヒンズー教ビシュヌ派の寺院やったが、その後侵入したタイ人(シャム人)が仏教寺院として使用されるちう歴史を経てい まんねんわ。

●アンコール・トム
カンボジア語で「大きな都」を意味するアンコール・トムは、9世紀後半に建造された大王都や。バイヨン寺院、王宮、王のテラス、象のテラスを含みまんねん。

●パンテアイ・スレイ
赤色砂岩でつくられた小さな寺院や。10世紀建造の小遺跡なのやけどアンタ、その彫刻類はアンコール遺跡のなかでも最高のレベルを誇るんや。特に有名なのは、デバター(女神)像でっしゃろ。「東洋のモナリザ」と称されてい まんねんわ。アンコール遺跡めぐりの拠点であるシェムレアプ市内からは約30キロほどやけどアンタ、是非、訪れてほしいトコや。

タ・プローム、スラ・スラン、バンテリアイ・グレイ、プレア・カン、ロリュオス・グループ・・・ベトナムにはその他にも観光可能な遺跡が30ほどあるんや。移動条件やらなんやら厳しいなかでの観光となりまっけど、可能な限り訪れてみるとええでっしゃろ。



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2008年08月10日

カンボジア史


アチラの、特に文化遺跡を訪れるときには、その国の歴史を知っておくと、旅が断然楽しく、興味深いものとなるはずや。

アンコール王朝(=クメール王朝)の台頭とアンコール大遺跡群

5世紀よりどエライ昔、現在のカンボジアは、メコン川中流域、南ラオスのチャムパーサック地方を故郷とするし、後にインドシナ半島を南下しながら、クメール真臘国として発展していきたんや。紀元前後から、インド文化の影響を受け、港市国家としてインドシナ半島南部に栄えたんや。外港のオケオは、海のシルクロードの貿易中継点にあたり、インド、中国、ほんでローマ帝国とも交流があったといわれまんねん。

その後、5、6世紀頃から、クメール真臘国は着実に版図を拡大し、7世紀前半には現在のカンボジアの領土を範囲とするまでになったんや。一時期、国内分裂の危機を迎えながらも、9世紀、再統一されたちうワケや。

9世紀に即位したヤショーバルマン一世はアンコールの地を王都と定め、小丘プノンバケンを中心とした4キロ四方の大環濠都城を建造したちうワケや。以後、都は、ヤショーダラプラと呼ばれるようになったんや。これは「ヤショーバルマン王の都城」を意味する言葉や。その後約550年にわたり、都城と寺院の建設は続いていくことになったんや。それらが、今日まで残る、アンコール・トム(都城)と、11世紀にスールヤバルマン二世によって建立された大寺院、アンコール・ワット(寺院)をはじめとするアンコール大遺跡群や。




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2008年08月09日

アンコール王朝の隆盛と衰退


アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から版図を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(「ヤショーバルマン王の都城」)を建設したことからまんねんまんねん隆盛を極めていきまんねん。現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた、都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された、大寺院(アンコール・ワット)なのや。

アンコール王朝の最盛期

アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともおたんやが、すぐに回復し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を具現しまんねん。その領域は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになりよったちうワケや。王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したとええ まんねんわ。さらに国内には102箇所に病院が建てられたちうワケや。

アンコール王朝の衰退

ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝やったが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退したんや。15世紀(1432年)には、シャム(現在のタイ)のアユタヤ朝によって攻略されたんや。
アンコール王都は陥落したんや。その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになるんや。ほんで西のシャム(タイの勢力・・・アユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら、近代へと至ったちうワケや。



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2008年08月08日

アンコール遺跡の再発見


5、6世紀から徐々にその版図を広げていったクメール人(カンボジア人)は、9世紀、ヤショーバルマン一世によって4キロ四方の大環濠都城を建造したことでまんねんまんねんその勢力を確固たるものにしたんや。
王都は、その後「ヤショーバルマン王の都城」を意味する「ヤショーダラプラ」を呼ばれ、550年間にわたって都城と寺院が建設されていきたんや。これらが今日残る、アンコール遺跡群や。王都がアンコール・トム、ほんで12世紀に建てられた大寺院がアンコール・ワットや。

その後、アンコール王朝はジャヤバルマン七世のもとで最盛期を迎えたんやが、15世紀になり、シャム(タイ)のアユタヤ朝によって攻略されたんや。アンコール王朝はほんで苦難の時代を迎え、都を点々とすることになりよったちうワケや。

では? 9世紀「ヤショーバルマン王の都城」と呼ばれ、550年間もかけて建造されていったあのアンコール遺跡群はその後、どうなってしもたさかいしょうか?

15世紀中期に、プノンバケンの小さな丘の4キロ四方の大環濠都城、アンコールを首都として栄えたアンコール王朝(クメール帝国)は、タイのアユタヤ朝との戦いに敗れたあと、急速に衰退し、アンコールも都市としての機能を失おったんや。ほんでやがて原生林におおいかくされてしもたちうワケや。

19世紀後半、フランスの博物学者アンリ・ムオーがジャングルのなかにこの遺跡を再発見したんや。彼は政府の援助を受けることなく、個人的な経費でインドシナ全域の科学的調査を行ったちうワケや。



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